つばさ号で峠越え

東京⇔山形の往復記録です

介護 ケアマネジャー

毎月、月末頃、山形の実家にケアマネジャーさんが来ます。
父・母の翌月分の介護計画書(A4の紙です)正・副を持って来て、内容を説明し、私が「正」の方の紙に承認印を押してケアマネジャーさんに手渡し、「副」の方の紙を受け取る、ということをします。
あとは、父・母それぞれの状況(施設の管理者から話を聞いた情報)を知らせてくれたり、追加してほしいサービスはないか、何か困りごとがないか、といったことについてお話しして、だいたい15分~30分くらいで終わります。
今回は、父・母とも、毎年この時期が介護保険証の更新時期なので、山形市役所への申請状況や、介護保険証が実家に郵送されるのはいつ頃か、といった件を中心にお話をしました。
昨年は、二人とも「要介護4」だったのですが、今年も「要介護3~4」程度になるでしょう、とのことでした。

母は、2021年3月に複雑骨折して長期入院し、入院中に病院内の医療相談室で今のケアマネジャーを紹介していもらい、介護保険の申請をお願いし「要介護4」の認定を受けて、退院後、施設に入所しました。
この頃、父は実家に一人でいましたが、掃除・洗濯・炊事はすべて母に任せっきりで、家事は一切できない人なので、しかたなく私が山形の実家に滞在して、家事手伝いをしながらテレワークしていました。
一応、父についても介護保険の申請をしたところ、当時はある程度元気だったこともあり「要支援1」の認定でした。
「要支援1」だったので、介護サービスは何も受けず、私がボランティアで在宅介護のまねごとのようなことをしていました。
そんな中、2022年5月、父が「息が苦しいので救急車を呼んでくれ」と言うので、救急搬送して入院し、入院中に介護保険証の更新をしたら、「要介護4」に認定されました。

一気に5段階もアップしたのでびっくりしましたが、この認定で施設に入所できたので、私の負担は減り、結果的には良かったのかもしれません。
父と実家で一緒に居た「要支援1」の頃は、夜、晩酌の付き合いをしていて、酔うと、決まって「90(歳)過ぎて生きていても、なんにもいいことなんかない、早く、姥捨て山に連れて行ってくれ」というフレーズがいつもでてきて、毎回聞いているといい加減、ウンザリしてきました。
(でも、冷静になって考えてみると、今の世の中でも "姥捨て山" のような所があってもいいのかもしれません)
こんな父だったのですが、先月、父が入所している施設にケアマネジャーさんと一緒に面会に行ったら、案外元気そうで、我々を見ると急に車椅子から立ち上がり、スクワットをし始めたので、ケアマネジャーと共にビックリしました。
と同時に、転倒したら怖いので、すぐやめさせましたが。
(なんだか、元気アピールでもしたかったのかな? やれやれ、です...)
それにしても、父はこの1月に施設内で発生したクラスタでコロナに感染し、発熱、酸素吸入という状態になり、往診医から「覚悟してください」と言われたのに、なんでスクワットできるくらいまで回復したのだろう。
これでも本当に「要介護3~4」に認定されるのだろうか?
なんだか、訳が分からなくなりました。

では、また。